青森の未来を耕す人たち

北村 良久さん
北村 良久さん
大阪市出身。むつ市在住。
有限会社サンマモルワイナリー 代表取締役社長
有限会社エムケイヴィンヤード 代表取締役社長
ソムリエ・エクセレンス 〔(社)日本ソムリエ協会認定〕
ドイツワイン・上級ケナー 〔日本ドイツワイン協会連合会認定〕

ヤマセが吹き果樹が育たないとされていた下北半島で、土壌改良など一からワイン用ぶどうの栽培を行い、そのぶどうを使った「下北ワイン」を製造。ぶどう栽培からワイン製造販売まで一貫体制の6次産業化事業に成功し、“奇跡のワイン”と呼ばれている。数々のワインコンクールで受賞するなど、地元はもとより全国のワインファンから高い評価を得ている。ワイン増産に伴い、県内加工用果実の買い付けをし、農家の副収入に貢献。現在、むつ市の第一工場と、大鰐町の「青森ワイナリーホテル」内にある第二工場でワイン製造を行なっている。

―下北でワインづくりを始めたきっかけについて教えてください。

北村 良久さん今から三十数年前のこと。大阪市でリゾート関連会社を経営していた父に、旧・川内町(現・むつ市)から、リゾート開発の相談がありました。町の誘致を受け、土地を購入。ゴルフ場やリゾートホテルを建設する予定でしたが、環境汚染を危惧した地元漁業者の反対や、バブル崩壊などで計画は頓挫してしまいました。

そんななか、たまたま欧州でのワインづくりの番組を見た父が、ワインづくりを提案しました。旧・川内町は、ワイン大国フランスの三大銘醸地のひとつブルゴーニュ地方と似た気候を持つこと、また、ワインの原料となるぶどう栽培に適した気候の帯「ワインベルト」に当てはまることが理由でした。当時、父の会社に勤めていた私にその夢が託され、私は妻子を大阪に残し、単身で下北に来てゼロから事業を始めました。

―ぶどう栽培やワインづくりを始めるにあたり、地元住民の反応はいかがでしたか?

サンモルトワイナリーの看板下北半島は冷たいヤマセが吹き、かつては、果樹が育たないと言われていた場所です。地元の方たちからは、「ここにぶどう畑をつくる?米だって実が入らないんだ。ぶどうなんて育つわけがないだろう」とあきれられ、「ワインづくりなんて無謀だからやめた方がいい」と反対されました。

―ぶどう栽培において、どんなところに苦労しましたか?また、かつては“果樹不毛の地”といわれた土地で、ぶどう栽培に成功した理由は何だと思いますか?

1998年、12本の苗木を植え、試験栽培をスタートしました。最初は、病気にやられたり実が熟さなかったりと失敗の連続でした。ワイン用ぶどう栽培の権威・志村富男名誉博士のアドバイスを受けながら試行錯誤するなか、ついにこの地に適したぶどうの栽培に成功しました。「ピノ・ノワール」「メルロ」「ライヒェンシュタイナー」「シュロンブルガー」の4品種です。「ピノ・ノワール」は、ブルゴーニュ地方の代表品種で、世界で最も高値で取引される「ロマネ・コンティ」に使用される品種です。「メルロ」は、ボルドーを代表する品種のひとつです。

のちにわかってきたことですが、下北半島の南端に突き出し、南に陸奥湾を望む丘陵地帯にあるうちの畑は、ぶどう栽培の条件がそろった場所でした。ぶどう栽培においては湿度が大敵ですが、丘陵地帯に吹く風は土壌の乾燥を助けてくれます。太陽の恵みと陸奥湾からの照り返しで、畑にはいつも明るい光があたっています。さらに、下北の連山がヤマセを防いでくれるので冷害による生育不良が起こりにくい利点がありました。
もともと、ぶどう栽培のために求めた土地ではありませんでしたが、たまたま好条件に恵まれたのだと思います。現在、県内では4カ所でワインづくりを行なっていますが、ほかにも適した場所があるかもしれません。そういう意味でワインづくりは、さまざまなぶどうの品種で挑戦してみる価値のある、将来性や可能性を秘めた事業だと思います。

―貴社のぶどう畑について教えてください。

12ヘクタールのぶどう畑で、7品種のぶどうを栽培しています。健康な土づくりと減農薬栽培にこだわっています。2年前から、農産物の安全性などに配慮した国際基準「グローバルGAP」の認証取得をめざしています。高校生として日本で初めて「グローバルGAP」を取得した青森県立五所川原農林高校と連携協定を結び、「高校生コンサルタント」によるアドバイスを受けながら、認証取得に向けて取り組んでいるところです。

―貴社のワイナリー(第一工場、第二工場)には、どんな特徴がありますか?

作業中の様子最初は、山梨県のワイナリーに醸造を委託していましたが、2007年に釜臥山を望む一角に自社ワイナリー(第一工場)が完成。栽培から醸造まで一貫した生産体制が整いました。この工場には、日本最新鋭の設備を導入しています。温度コントロールができ、ワインの大敵である空気に触れにくい特殊構造をもつタンクのほか、ワイン成分分析装置も導入。国内初となる、瓶内二次発酵でワインを発泡させる「シャンパーニュ方式」による自動製造ラインも導入しました。

2016年には、もともと所有していた大鰐町の旧・ロイヤルホテルをリニューアルし、「青森ワイナリーホテル」をオープン。施設内に第二工場を設置しました。地元農家から買い取った県産りんごやスチューベンなどを原料に、多種類のワインを量産してリーズナブルに提供していくことをコンセプトにしています。

―商品の特徴や、ワインづくりに関するこだわりについて教えてください。

年間生産本数は、2つの工場合わせて10万~13万本。アイテム数は25~30種類と、豊富なラインナップが特徴です。寒い地方のワインは少し酸味があるのですが、お醤油と相性がいいんです。ですので、マグロやホタテの刺身などとも合うし、和食に合わせやすいという特徴があります。下北はおいしい魚介類の宝庫ですので、ワインと魚介類のマリアージュが楽しめます。

自社畑のぶどうだけでなく、南部町のナイアガラや三戸町の紅玉、鶴田町や田舎館村などのスチューベンでワインを製造しています。津軽の人にしてみれば、スチューベンは日頃から見慣れていたぶどうで、まさかワインの原料になるとは思ってもいなかったようです。最初は、「スチューベンなんかでワインをつくれるわけがない」と。でも、地元の人が見慣れ過ぎてあたりまえに感じているものが、実は希少な資源だということもあります。完成したスチューベンのワインは、想像以上においしく地元でも評判になりました。

さらに、「津軽レッドスチューベン2017」が「サクラアワード2019」で金賞を受賞し、津軽のスチューベンはいっきに世界の舞台へと躍り出ました。「サクラアワード」とは、ワイン醸造家、ワインジャーナリスト、ワインスクール講師など女性ワインプロフェッショナルたちが審査員を務める、国際的なワインコンペティションです。スチューベンを使ったワインは女性にもアピール効果の高いことから、県外のワイナリーもこぞって仕入れ始め、加工用スチューベンの買い取り価格は2倍以上にアップしました。
加工用果実の付加価値を高めることで、農家の副収入につなげたいと思っています。農家の高齢化が進むなか、後継者不足も課題です。経験の浅い若手農業者は、ベテラン農家のように完璧な果実をつくるまでには時間がかかります。なので、規格外の果実をできるだけ高く買い取ることで若手農家の生活を支え、担い手として独り立ちするのを応援したいと思っています。

―これまで、数々の輝かしい受賞歴がありますよね?

ワインと盾アジア最大規模の大会「ジャパン・ワイン・チャレンジ2014」で、「下北ワインKanon 2013白」が金賞を受賞しました。大手メーカーや有名ワイナリーが多数出品するなかで、本州最北端の小さなワイナリーが受賞したことで全国から注目を集めました。また、日本で一番権威のある大会「日本ワインコンクール2015」では、「下北ワインRyo Selection 欧州系品種 赤」が銅賞を受賞。さらに、翌年は赤ワイン「Ryo Classic 2014」が、「日本ワインコンクール2016」で国内初の金賞を受賞しました。国産「ピノ・ノワール」での受賞は、それまでどこのワイナリーも成し得なかったこと。「長野や山梨、山形、そして北海道など 、日本のビッグ4の産地と同じように青森でも品質の高いワインが作られていることを証明できた!!」と、こみ上げるものがありました。

また、2019年には、高品質な日本ワインを製造するワイナリーを選ぶ「日本ワイナリーアワード2019」において三ツ星に認定されました。大手・有名ワイナリーを抜いて、うちのような小さなワイナリーが受賞できたことは本当に栄誉なことです。

―県内外のお客様の反応はいかがですか?

県内のスーパーや酒店でも好評ですが、特に下北では、ギフトや手土産用に選ばれる方が多いと聞き、地元のブランドとして認知していただいていることが喜びです。
ナイアガラを使った白ワインは、毎年ボージョレ・ヌーヴォー解禁日に合わせ、「青森ヌーヴォー」として限定販売しています。まるで、生のぶどうを丸かじりしたかのようなみずみずしい香りがすると好評で、発売当日に完売してしまうほどです。

「日本ソムリエ協会」会長の田崎真也さんや、「日本のワインを愛する会」会長の辰巳琢郎さんにも、いろいろなシーンでうちのワインを採用していただいています。

北村 良久さん近年、台湾への輸出を行なっているほか、2017年にはアメリカのハワイ州に現地法人を設立しました。台湾では、青森県産のりんごが人気ですが、そのりんごを使ったお酒ということでアップルワインにも関心が集まっています。また、1本5000円台の高級ワインが人気を呼んでおり、レストランでも採用していただいています。

―北村社長が初めて青森にいらした時の青森の印象はいかがでしたか?
当時と今とでは、印象は変わりましたか?

青森に来る前は、東京、岐阜、名古屋などで働いていたので、最初に青森に来た時は戸惑いました。まず、方言がさっぱりわからない。まるでフランス語です。あと、コンビニのおでんを食べた時に「なんじゃ、この塩辛さは!」と。大阪は、だしの文化なので、青森は何を食べても味が濃い。本当に驚きました。
言葉も食文化も風習も違うので、最初は不安だらけでしたが、住んでいるうちに人の良さや地域の良さもわかってきて、今では180度イメージが変わりました。むつ市に自宅を新築し、今や完全にむつ市民。私にとってここが一番いい場所です。地域に知り合いや仲間もでき、年間200日は東通村で大好きなサーフィンを楽しんでいます。

―北村社長が思う青森の可能性はどんなところですか?

地方は、見方を変えればビジネスチャンスの山です。競争相手は少ないし、ウェルカムで応援してくれる人がいっぱいいる。地方の特性や優位性に目を向ければ、気づくことがたくさんあると思います。なかでも、私が特に可能性を感じるのは青森の食です。今、農業で生き残っている人たちは研究熱心でスキルが高い方ばかり。パッケージや見せ方の工夫を凝らすなど、さらに磨きをかければ農業ブランド大国になると確信しています。

―平成30年度には、青森COC+推進機構の「共育型企業インターンシップ」の一環で県内の大学生を受け入れたそうですね?

地域貢献や、まちおこしがしたいという意識が高く、情熱を持っている学生が多いという印象を受けました。私のところは、実践型インターンシップで経営を学ぶカリキュラムでしたが、本気で経営を学びに来た学生はものすごくアツく、質問攻めにあいました。学生が地元の企業を知り、地域資源を生かす方法を探るという良い機会になったと思います。と同時に、社員たちもモチベーションが上がりましたね。学生をお預かりする側の私たちが、逆に成長させていただく機会を与えてもらった気がします。

―どんな青森になれば、もっと若者が定着する地域になると思いますか?

北村 良久さんキーワードは、やはり第一次産業だと思います。今後、農業の法人化が進むことで、新たな開拓やブランド化によって新産業が生まれると思います。日本一の産品が増えてくることによって、それを目当てに青森県を訪れる観光客も増えてくるでしょう。たとえば、ヨーロッパのバスク地方のように、豊かな海と山、農業があって、そこで採れたもの、素材を生かしてシェフが集まってくるような、世界を代表するリゾート都市になれる要素があると思います。

―下北は、他地域に比べて県内就職率が低いという現状がありますが、それについてどう思いますか?

若い方たちは、都会を見てみたいという好奇心があると思います。好奇心があるから、彼らは“旅”をする。いろんなものを見るからこそ、いろんなものを知るんですね。広い視野を持った事業家になって帰ってきて、青森で新たに事業を起こしたりするかもしれない。だから、県外に出ていく若者に対して大人は、「いってらっしゃい。成長して、お土産を持って帰ってきてね」という気持ちを持つことが大事だと思います。みんながそう言ってあげることで、若者も帰って来やすいのではないでしょうか。

―北村社長の今後の夢や展望をお聞かせください。

醸造の世界は、長らく男性社会でしたが、当社では、積極的に女性を採用しています。第二工場の責任者も女性で、第一工場でも女性が活躍しています。今後も男女問わず意欲ある若い方を採用し、地元の雇用にも貢献したいと思っています。

近年、インバウンドのお客様が増え、イスラム教徒の方への配慮も必要となっています。2002年2月には、ハラール産業開発機構(マレーシア政府経済省傘下組織)より、ムスリムフレンドリー認定証をいただきました。海外のお客様にも、日本のワインを楽しんでいただきたいと思っています。

振り返ってみると、私は、青森によって生かしてもらいました。もしも、青森に先人が築き上げたりんごやスチューベンがなかったら、僕はワインをつくれなかった。第一次産業が盛んだからこそ加工のビジネスが生まれる。多くの人に助けられながら、チャレンジさせてもらえた僕は本当にラッキーでした。
目標は、従業員が幸せになる会社づくりです。働いている父親の姿を見て、自分も将来あの会社で働いてみたいと思ってもらえる会社をめざしています。そして、その仲間たちと一緒に、ここ下北で、日本のロマネ・コンティと呼ばれるワイン、日本のドンペリと呼ばれるスパークリングワインをつくるのが夢です。

―県内の若者に対するメッセージをお願いします。

かつて、“果樹不毛の地”と揶揄された下北半島は、今や、高品質なワイン用ぶどうの栽培地、本州最北端のワイナリーがある場所として認知され、高く評価されています。昔は、青森から世界へ向けてワインを発信するなど誰も考えられなかったことかもしれません。青森という場所の素晴らしさと、さまざまな人の支援によってここまで来ることができました。若い方には、「どうせ、そんなことをやってもダメだから」などと、最初からあきらめるのではなく、情熱を持って自分の人生を切り拓いてほしいと思います 。可能性やチャンスがたくさんある青森。ぜひ、夢に向かってトライしてください。

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